令和改元初花の候、深吉野にて、後醍醐帝、西行法師への献香献茶式の機会に恵まれ、西行庵円位流当主は入山して参りました。此のかけがえない御縁を御繋ぎいただきましたのが、
一般社団法人つぼみ咲くプロジェクト・永留君明先生、森日和先生御両名様でございます。
一般社団法人つぼみ咲くプロジェクト様は、『誰もがイキイキと輝き、みんなの幸せを想い行動し、愛と笑顔が溢れ「ありがとう」が飛び交う社会を目指し実現する』というビジョンのもと、ひとづくり事業、まちづくり事業、国際経済交流事業などを中心に活動展開されておられます。
特に和の為来り、祈り、伝統文化を重んじ、次世代へと受け継いでゆく為に、また、此の国難の時節には日本国を根底より建て直すべく、全国を駆け巡り御尽力され、誠に尊い活動をされておられます。  
此の度は、つぼみ咲くプロジェクト様が過去二年実現された「吉野桜中茶会」の本年のテーマが西行法師という事で、西行庵三代庵主・花輪宗恵の三十年前の弟子・宮下久子氏の御子息・宮下信顕氏の御紹介で
永留君明先生、森日和先生に御引き合わせ頂き、西行法師が狂おしく愛された花の深吉野にて献香献茶の儀を執行させて頂く事が叶いました。当庵にとって此上無く意義深く、厚く御礼申し上げます。
世は新型コロナウイルスが猛威を奮い世界中の人々が苦境に立たされ困難の真只中ではございましたが、寧ろ此の様な時こそ、神佛への祈・約束を絶対に果たさねばならないという双方の強い意志が見事合致し世界遺産南朝皇居吉水神社宮司佐藤素心様(世界平和と共存共栄を祈られておられます)、
世界遺産延喜式内大社吉野水分神社宮司廣岡瑞生様、御二方の御理解を賜り、無事遂行させて頂ける事と
相成りました。筆舌に尽くせぬ程、感謝の想いを拙文にて言上申し上げます。
儀式の為に入山しました吉野山。地元の方々も口を揃えて驚かれるほど、四月の吉野にしては冷え込み、冬服を取り出すほどでございました。然し乍ら霧立ち込める一日目の水分神社は実に幻想的で、山中腹より見上げると雲に覆われる山頂付近はまさに霊験あらたかで御座いました。
天水分大神様に御見守り頂く厳かな空気の中、西行法師座像に香と茶を手向けることができました。
その十二日の夜も耽った頃、深い眠りをも撃ち破るほどの激しい雷雨が峯を駆け昇り、その勢いたるや、桜本坊宿坊全体をも震わす、まるで龍吟のような轟が長く山を襲いました。
やがて夜が明けると、嵐は夢か幻だったかの様に、ただ静かに小雨がそぼ降るばかり。一目千本桜の山々からは雲が湧き出で、八雲立つとはまさしく此の事かと身震いする程、神々しい不思議な光景に息を飲むばかりでした。吉水神社後醍醐帝玉座神前にて四方を拝し諸明王尊に祈り螺貝の音も清々しく、無事に儀式を努めさせて頂く事が叶いました。
西行庵円位流は全国の寺社での儀式を通じ、国家安康と世界平穏を、また自坊にては日々皆々様の御無事を祈念し続けて参る所存でございます。


<特別御礼>

世界遺産南朝皇居吉水神社 佐藤素心宮司様
世界遺産延喜式内大社吉野水分神社 廣岡瑞生宮司様     
井光山五臺寺大峯山護持院櫻本坊 巽良仁御住職様
つぼみ咲くプロジェクト 永留君明先生 森日和先生 濱野夕希子様
まほろば日本 立花之則先生
株式会社和の心 葉室頼廣先生
儀式撮影 廣田勇介氏     

また、御縁ある総ての御方々様に感謝
  誠有難く光栄にも日本創生事業開発株式会社永留君明先生に御縁をお繋ぎ頂きまして、此夏越の祓を高千穂の地にて迎えて参りました。
令和改元早々、此の国内外の大困難・混乱に立ち向かうべく国開き、国治め、国譲りの儀式を執行させて頂きました。
心をひとつにし、真の理を紐解き正しき姿を取り戻して参る所存で御座います。
西行庵円位流は全国の寺社での儀式を通じ、国家安康と世界平穏を、また自坊にては日々皆々様の御無事、を祈念し続けております。

弥栄

祈りの高千穂
釈浄明尊者 故 永留君明先生に寄せて




  拙文『祈りの吉野山』にも書かせて頂きました様に、昨年末以来の日は浅いお付き合いでは御座いましたが、今後の小生の半生に最も影響を及ぼす人物である事は間違いございません。
『祈りの吉野山』二日目の後醍醐天皇様に奉る儀式にて四方を拝し、五大力様の後に国家鎮護の大元帥明王尊を奉り、点前に取り掛かるという、
円位流独自の作法に故永留先生が驚かれ、帰京の車中で、お互いの大元帥明王尊との結縁のお話をさせて戴きました。
小生の場合は長年西行庵保存会の会員様の高野山西南院和田様の御自坊に参拝させて頂いた折に初めて大元帥明王尊という秘仏をお祭りであられる事を教わり、以来念持仏として信仰させて頂いております。
一方で永留先生は学生時代より全国一宮参りをライフワークとせれておられました。大和一宮・大神神社参拝で奈良を御訪問の際に偶然知遇を得られた真言宗の高僧の方から「あなたはこの日本の国運を背負っておられるお人だから大元帥明王を心に念じておきなさい」と告げられたと仰せでした。あまりの偶然に我々は生き別れの兄弟が再会できたかの様な喜びを感じて、西行庵西境内にございました楠の材を持ちまして  大元帥明王尊像を二体作成し、お互い大切に御祀りしましょうと誓い合いました。
然し乍ら誠に青天の霹靂、約束の開眼供養の予定日でございました重陽の節句二日前に、脳幹出血を発症されて、そのまま身罷られてしまわれました。以降数日間は、私共も悲しみの余り茫然自失で先生の死を受け入れる事ができませんでした。
数日後、いつもの様に西行庵の庭を掃除しておりましたら突然の雨が降って参りました。構わずそのまま掃除を続けておりましたら涙なのか雨なのか分からない有様でした。その雨も半時間ほどで止み、ふと西の空を見上げますとこれまで見た事もない様な美しい夕陽に赤く染まっており、一瞬、先生が亡くなられた辛さを忘れました。次の刹那、我に返ったと同時に、あの明るい快活な先生のお声で「大丈夫ですよ」と私の心に直接呼び掛けられた気がしました。
もしかすると先生は不自由な肉体を捨てて、現在・過去・未来、冥界霊界と現世を自在に行き来できる存在になられたのでは…という考えが私の中に芽生えて参りました。
葬儀の折に故人が菩提寺より賜られた法名は「釈浄明」様です。そこに私共は敬意を表し尊者号をお付けし「釈浄明尊者」として、弔うというよりも国家安康の大元帥明王尊の御化身として尊崇させて頂く事に気持ちを改めた次第であります。
突然の死に直面された御親族の皆様は、私共の数万倍の悲しみに打ち拉がれておられるかと拝察申し上げます。
また、お仕事を通じて苦楽を共にしてこられた御仲間の皆様には克服し難い精神的苦痛の中にお過ごしの事とお察し申し上げます。
しかし、たとえ数年掛かろうとも、何とか、何としても立ち直って頂き
故永留先生の偉大なる事業を継承される事を心底より御祈り申し上げます。

令和二年神在月吉日  西行庵円位流 当主 花輪竹峯 恐慌謹言



 

令和二年六月初旬、故永留君明先生は、つぼみ咲くプロジェクトの森日和先生と、四條山蔭流四十一世・四條隆彦御当主様を伴って、宮崎県高千穂へ向かわれました。
 目出度くも改元を無事済ませ、新たな時代の日本に期待を寄せていた我々日本人のみならず、世界を震撼させたコロナ災害。昨今の現状に対応すべく、我々日本の先人達が培い継承してきた生活・精神文化を見つめ直し、戦後忘れられがちな「心の在り方」に回帰する必要性をお感じになられた上での高千穂入りでございました。
 かねてより御昵懇の後藤俊彦宮司を尋ね高千穂神社にて正式参拝の後、天岩戸神社へも参詣された折に佐藤永周宮司から「この国難に立ち向かうべく、天照大神様が岩戸に再び御隠れにならない様に、御神体に注連縄を張る事を考えています。」との意向を直接聞かれた故永留先生は、「その大役を我々にお任せしては頂けませんか?」と宮司に言われたところ、「是非ともお願いします。氏子総代も喜びます。」とのやり取りで、「天岩戸注連縄張り計画」が始動しました。 関西にお戻りになられた故永留先生は真っ先に西行庵に御来庵頂き、前述の経緯を熱く語られ、注連縄張りに先立つ神事として円位流の献香献茶式を御提案下さりました。
 小生が快諾するや、早速夏越の大祓に儀式を企画して頂き、昨年(令和二年)の「祈りの高千穂」へと繋がるのでした。 私儀、平成十六年に博多・宗湛茶会の水屋手伝いで、茶道恩師・林蕉菴宗匠に随行させて頂いて以来ご無沙汰の九州入り。宮崎・日向国とはまさしく天津祝詞の冒頭、高天原を思わせる空気。…筑紫の日向の橘の…とは紛れもなくこの地。日向国こそが日本国発祥の地であると強く感じ、高千穂に至って、我が魂は誠の故郷に帰ったと確信致しました。思えば三年前、西行法師生誕九百年に熊野三山 本宮に至る九十九社の内で天照大神様を祀る、西行が愛した桜の名所でもある八上王子神社にて献香献茶式を仕りましたご縁より天照様に導かれているのであると深く感じるのでした。
 然るに拙文『祈りの高千穂』にて前述の如く、肝心の主催者・永留先生が三ヶ月後に急逝され、「天岩戸注連縄張り計画」が窮地に立つ事になりました。 ご同僚の森日和先生も暫くは御心労で立ち直る事が困難なご様子でしたが、 吉野山の儀式以来撮影を担当して頂いた廣田勇介氏と天岩戸現地調査に当たられた竹内洋岳氏が天岩戸神社・佐藤宮司に永留先生御急逝の旨を伝えると共に計画続行を勧められました。
 さすがに佐藤宮司も先生御急逝に衝撃を受けられましたが、気を取り直され、年内にも注連縄張実現の決意をなされました。 後日、十月初めに廣田・竹内両氏に加え、京都府議会議員・二之湯真士先生と森先生が西行庵にて一堂に会し佐藤宮司の意思を確認の上、故・永留先生の遺志を継ぐべく、令和二年十二月十八日の天岩戸注連縄張決行と、同日早朝の献香献茶式執行を決定しました。
 儀式当日早朝は一番の冷え込みで氷点下6度を記録する中ではございましたが、無事に執行させて頂き、小生が点てさせて頂いた天目茶碗を宮司が神前へと恭しく御持ちされる瞬間に夜が明け、神々しく、清々しい空気に包まれました。 西行末裔との出自と香銘・茶銘を述べ上げ、西行和歌を詠じ、六根清浄大祓を御唱えし、御神号三唱にて献香献茶式を終えさせて頂きました。その後竹内・廣田両氏により神話の時代以来初めての注連縄を張ることが叶い、河内国を代表される書家永山玳潤氏による書の奉納で厳粛に全体の儀式を締め括りました。
 今後(令和三年)以降は十二月下旬・毎年冬至朝に注連縄を張る事も決められ、 西行庵円位流が儀式担当の任を仰せつかりました。鋭意専心、更なる精進を 心掛ける次第であります。 毎年十一月第二日曜日に東国・常陸国、笠間稲荷神社奉納祭を香道の恩師・ 大和古流友常天眼斎御当主が執行されるのに対し、十二月冬至は西国・日向国 高千穂、天岩戸神社にて西行庵円位流が儀式を勤めさせて頂きます。
 国家鎮護の二大流儀として、共に切磋琢磨し、国家安康・五穀豊穣を祈念して参る所存で御座います。 この一連の『祈りの吉野山』、『祈りの高千穂』、本文『令和の御世の岩戸開き〜天岩戸注連縄張り』全文を故・永留君明先生こと「釈浄明尊者」様に捧げると共に、故人にお導き頂いた御縁に、最大限の感謝の意を申し上げます。


令和三年薫風乃候吉日    西行庵円位流当主・花輪竹峯 恐惶謹言





                   
西行庵 〒606-0072 京都市東山区鷲尾町524(円山音楽堂南) TEL.FAX. 075-561-2754        
 
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